2009年10月24日土曜日

インタビュー「灘チャレンジ2009――わたしたちは、忘れない。忘れさせない。―― 都賀川水難事故に関する取り組み」

■座談会を行った日時と場所:2009/08/03@支援室(20時~)

■インタビュー参加者(敬称略)
武久:発達科学部3回生。灘チャレンジ2009実行委員長。
久保:理学部4回生。都賀川水難事故に関する小委員会長。
相澤:聞き手。学生ボランティア支援室スタッフ。灘チャレンジOB。


■1995年6月、阪神・淡路大震災の復興祭として始まり、2009年に15回目を迎えた地域イベント「灘チャレンジ」。毎年、地元のボランティア団体や商店街の人びとの協働によってイベントを作り上げると同時に、日頃ボランティア活動や社会的活動に取り組む学生たちの問題意識に基づいた、さまざまな企画を手がけてきました。

 2009年の灘チャレンジのテーマは「わたしたちは、忘れない。忘れさせない」でした。このテーマを通じて、灘チャレンジ2009では、主に二つの問題に取り組みました。
 一つは、中越地震・中越沖地震や能登半島地震の被災地に通う「中越・KOBE足湯隊」の活動に取り組む学生が中心となって、震災被災地の現状を紹介したパネルを展示しました。
 そしてもう一つは、 2008年7月28日に発生した都賀川水難事故に関する追悼と検証の取り組みでした。毎年、都賀川公園を会場としてきた灘チャレンジにとって、この出来事とどのように向き合うべきなのか、実行委員の学生たちは長い時間をかけて真剣に話し合い、地域の方々との対話を積み重ね、企画を進めてきました。

▲都賀川公園でのパネル展示の様子




――――なぜ学生が都賀川の問題に取り組むことになったのか。


武久:大前提として、あれは灘区で起こった災害なのです。自分は、足湯隊(中越・KOBE足湯隊;中越地震や能登半島地震の被災地に赴き、被災者支援や交流活動等に取り組む団体。神戸市内や新潟県内の大学生によって構成されている。)などの活動で他の地域の災害に関わってきたけど、これは地元で起きた事故でした。学童保育所に直接関わっていた学生はいろいろ考えただろうし、他の学生も、灘区に住んでいる人間として自分の住む地域の出来事として関心を持ったと思います。
 灘チャレンジは復興祭として始まりましたが、事故の起きた川を会場としているまつりでもあります。はじめは特に具体的なアイディアがあったわけではなかったはずですが、とにかく川について何かできないかなと思っていました。おまつりという形にしたら、いろいろな立場の人が来てくれる、いろいろな人に思いを届けられる場とすることができます。事故の中身について発信するだけではなく、亡くなった方やしんどい思いをした関係者の方々へ、何らかの働きかけをしてみたいと思いました。
 一方で、誰も傷つけたくないという想いもありました。そのような、いろいろな人の想いが混ざっている中で、自分たちができることとは何かということを考えました。亡くなった5人の方々、そして事故のことでしんどい思いをした人。そういうことを忘れないでいきたい、忘れないでほしいという思いでスタートしました。


久保:武久が言ったことがほとんどだと思うけれど、あの事故は灘の中でも去年一年間の中では最大の出来事でした。灘チャレンジはその事故と同じ場所でやっているということで、何らかのことをやっていきたいというのが最初の思いでした。


――――逃げない、目を背けないということか?


武久:逃げるとか目を背けるとか、そういうことではありません。最初の段階で、事故があったからそもそも灘チャレンジをやらない、という選択肢もありました。
 やるにしても、 場所を変えてやるのか今回も都賀川でやるかどうか、という選択肢もありました。今年やらなくて来年やるとしても、今年も来年も問題は変わりません。来年に延ばしても、遺族の方々にとっては都賀川という場所でやるおまつりです。数年別の場所でやったらいいのではないかということではないと考えました。ですが、自分たちは都賀川の公園でやることに意味があると思っていました。


――――武久君が委員長になったのは、事故の件と関係ある?


武久:最初、まちの人やOBに話を聞こうという話になって、今はプロのチンドン屋になっている灘チャレンジOBの内野さん(96年の実行委員長、元救援隊代表)に会いました。そしたら、灘チャレンジでは何をしたいん?と聞かれました。そのとき自分は、都賀川の事故の件や能登の地震の話をやりたいと言いました。そういうことが口から出てきた時に、自分の思っていることをみんなに伝えていきたい、という強い感情が出てきました。
 都賀川のことも、震災被災地のことも、どっちもやらなければならない。去年は耳の聞こえない人の情報保障のことについて訴えたりしたが、今年は自分が思っていることを形にしたいということで、気がついたら委員長になっていた。川のことをやらなければならないから委員長になったというよりも、どれも大事にしたいという想いから自分が委員長になった・・・ということかもしれません。


――――考えたり話をしたりしながら、言葉にならないものが言葉になってくることがあったのかもしれません。


久保:立ち上げ初期に、ご遺族の話を聞かなければならないということで、ご遺族の近い方の話を聞くことになりました。その頃は新3回生の実行委員幹部が決まっていなかったので、別働隊として先に都賀川についての小委員会を先に立ち上げました。その後、実行委員会が立ち上がって動いていく中で、小委員会が中心となって、都賀川についての取り組みを続けました。


――――灘チャレンジを終えて、一周忌にあたる7月28日を迎えました。


武久:灘チャレンジが終わったあとに、ご遺族の方に挨拶に行きました。一周忌とかそういうのは、外の人の見方だと思います。3年を目処に慰霊碑を建てるという話も出ていますが、それは外の人が決めた話だと感じました。時が経つほどに、そういうところについての配慮がなかったのではないか、という反省もありますが、まだしんどい思いをしている人はいっぱいいるということだけは考え続けていきたいと思っています。

久保:ご遺族の方の心情を量ることは難しいが、最初にご遺族に近い方から言われたのは、「遺族に何々をしてもいいですかと聞くのではなく、自分たちでできることをやれるかどうかを考えてくれたらいい」ということでした。そして、最終的には自分たちがやろうと思ったことをやり遂げて、それについて遺族の方に直接報告をすることができました。
 ですから、自分たちで取り組みを設定 してやり遂げたことについては、自分では評価できるところはあると思っています。来年以降のことについては、未定の状態です。もちろん、今回企画をやったからと言って、もう考えなくてもいいというような考え方は、後輩達にはしてもらいたくないと思うんですけれど。

▲灘チャレンジ当日に配布したパンフレットの記事



――――具体的な企画の内容を教えて下さい。


久保:追悼と検証という二つの軸で企画を構成しました。追悼は亡くなった方に哀悼の意を表すということです。追悼については、当日の黙祷と、追悼文を会場に掲示したり、パンフレットに掲載したりしました。検証については、誰が悪いという話ではなく、事故はなぜ起きたのか、どうしたら防げたのかということを考える企画にしました。4人の方にお話を聞いて、当日配布のパンフレットや展示したパネルで紹介しています。
 都賀川を守ろう会、<7月28日を「子どもの命を守る日」に>実行委員会、都賀川水難事故調査団の藤田先生、それから松本誠さん。松本さんや藤田先生が揃って「あそこは親水空間だったから事故が起きた」という指摘をしているのは印象深いです。
 端的に言えば、もともと危ないところを親水空間にしたというところが事故を招いたという考え方です。とにかく親水空間を作ればいい、という考え方に対する自戒でもあると思います。単に親水空間を作るだけにとどまるのではなく、その川との付き合い方・川の怖さを学べるようにやっていかなければならないと思います。
 検証についてはさらに、ミニゲームについて、雨や川について取り扱ったゲームをやったり、 ステージで婦人会の方に紙芝居を実施してもらいました。パネルやパンフレットでは活字ばかりになって大人向けになってしまうので、少しでも子どもにも伝わる様なことを考えました。あとは都賀川を守る会と灘区が作った都賀川安全ハンドブックを配ったりもしました。

武久:ミニゲームとステージは、小委員会だけでなく、各部署で都賀川について何かできないかを考えてもらって企画してもらったという形になっています。


――――困難だったことは?


武久:いろいろな想いを持っている人が学生の中にも、地域の中にもいました。その中でぶつかったりしたのが大きな困難だったように思います。学生の中でもいろいろな考えがあるし。

久保:それでも、亡くなった方やご遺族の方の立場に立って考えていこうという軸は、ぶれずにやれたと思います。

武久:まちの人は、誠意に対しては誠意で応えてくれたが、学生はそういうわけにもいかなかった。まちの人は自分の思いをそれぞれ持っておられるけれど、内部の学生は、自分の中で言葉にできないものがあって、後からいろいろと言ってくるような場合もあったし。

久保:そういう意味でも、自分たちの企画をやり通すことができたということは、評価できるのではないかと思う。


――――新入生はこの取り組みについてどう感じていたでしょうか?


武久:先輩が言っているから考えないといけないなあ、と思ってくれてる1年生がどのぐらいいたでしょうか。7月28日に都賀川の事故現場で行われた献花に来てくれる1年生もいたので、少しは伝わったことがあったのかもしれません。もちろん、そこに来た来ないで計れるものではありませんが。新入生の声に耳を傾ける機会も持てなかったので、これからはそういうことも聞いていったほうがいいかもしれません。

久保:4月の段階でポンと放り込まれた新入生は、2月ぐらいからの取り組みについては全然知らないままやってきています。ですから、どこまで知って考えてもらえたのかについて疑問は残りますけれど。

▲事故から1年が経った2009年7月28日にも、パネル展示を行った。



――――地域の人や来場者からの反応はどうでした?


久保:パネルを観た人からは、多角的な見方をしてまとめたことについて評価してもらえたのではないかと思う。

武久:「あの場所でよう祭りやったなぁ」と励ましてもらったことはありました。あとはインフルエンザの影響も大変だったので、それも含めて「よくやったなあ」と言われたりしました。

久保:今回は亡くなった方とご遺族の方のことを第一に考えながらやったので、そういう意味での外部からの評価を聞くということは難しいところはあるかもしれません。

――――どうもありがとうございました。




(取材・構成:相澤、2009年10月24日掲載)