2009年8月7日金曜日

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(1)

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(1)

 2009年6月7日日曜日、神戸市灘区の都賀川公園では、神大生と地域住民が企画・運営する地域イベント「灘チャレンジ2009」が盛大に開催された。昼過ぎ、公園の特設ステージでは、「ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――」と題した寸劇が上演され、外国にルーツを持つ子供たちの生き様や葛藤、日常を舞台の上で表現しました。

 劇に取り組んできたのは、灘チャレンジ実行委員会内の演劇集団「神大人民カゲキ びわぽん団」。1995年6月に阪神・淡路大震災の復興祭として始まった灘チャレンジでは、毎年恒例の名物企画として、社会的な課題を取り上げた寸劇に取り組んでいます。劇メンバーは、取材や脚本作り、演技の練習だけでなく、取り上げたテーマに関する活動現場にも足を運びます。そんな「舞台の上で完結しない劇」を作った学生のみなさんに集まってもらい、"舞台裏"を話してもらいました。


■座談会参加者(敬称略)
関:農学部3回生。劇の脚本を作成。
臺:農学部2回生。劇の演出を手がける。
納庄:理学部1回生。劇では、在日コリアンの大学生を務める。
山中:発達科学部1回生。劇では、ベトナム人を追い出す店長役を演じた他、当日配布した資料集に掲載した漫画を作成。
松田:法学部1回生。音響を担当。
相澤:聞き手。学生ボランティア支援室スタッフ。灘チャレンジ97、98では寸劇の役者として舞台に立った経験もある。

▲2009年6月7日の灘チャレンジ2009のステージでの、風刺劇の上演。

――――灘チャレンジでは毎年違う、社会的なテーマを取り上げた寸劇に取り組んでいます。1年生として入ってきた人たちは、そもそもどんなことをするのかも分からないまま、劇の活動に参加しますよね。最初のきっかけや、劇に参加しはじめた頃の印象はどうでしたか?

納庄:救援隊(学生震災救援隊)の新歓に行ったら、劇に誘われました。高校時代、ボランティア活動に参加した経験もあって、そういう活動にはずっと関心があったので。

山中:子どもの頃に児童劇団の活動に参加してたりしたので、灘チャレンジの劇はそれと似ている感じでした。児童劇団には歌やダンスがありましたけどね。大学に入ってからは絵を描いたりして過ごそうかと思っていたんですけどね。最初はモダン・ドンチキ(チンドン屋サークル)の新歓に行ったら、関さんに誘われて。

松田:灘チャレンジでPA(音響)を担当することになって、「それなら、松田君は劇のPA担当ね」っていうことになりました。劇の練習場所に行って、初めて今回の劇のテーマを知ったというような感じでしたけどね(笑)。以前から、漠然と「人のために」という気持ちは持っていたけれど、高校時代は積極的に取り組むこともあまりなくて、モヤモヤした感じだったんです。なので大学に入って、最初は総ボラ(総合ボランティアセンター)に行って、そこから救援隊→灘チャレンジ→劇ということで、今に至ってます。

――――声をかけて劇に連れてきた1回生に、どんなことをしてもらいました?

関:いきなり取材に連れて行きましたよ。会ってなんぼだと思うので。他に何か方法あります?(笑) 上回生と1回生の組み合わせで、知り合いのつてなどを使って、在日外国人の人たちにアポイントを取って、話を聞きに行きました。最初はキムソンギルさん(NPO法人 神戸定住外国人支援センター理事長)をお呼びした新歓講演会に、「1回生はぜひ参加して」と呼び掛けました。山中さんは、わりと最初の頃から参加してくれていましたが、納庄さんや松田君は、もう少しあとから参加したんだよね。

山中:私は、いきなり「行こう!」って言われて、アンさんのところに行きました。彼女はベトナム難民の呼び寄せ家族なんですが、最初は「難民で日本に来て苦労してる」っていうイメージだったんですが、アンさんからは「他の人と同じように、自分は頑張ってるだけだよ」と言われて、衝撃を受けました。

納庄:深江の学習支援の現場に取材に行って、自分たちの世界と違う世界があることにびっくりしました。普通のアパートの部屋の壁をぶち抜いて教室にしているのですが、日本語とポルトガル語が共存しているような世界で。

松田:自分は特に取材に行ったりしてないけど、劇に参加して変わったことがあったとすれば、意識しなかったような外国人のことを意識するようになったことぐらいかな。

――――劇を通じて外国人の人たちへのイメージや接し方が、何か変わったりしました?

関:取材を重ねていた頃、「これまでに自分が会ったことのある外国人の話をしてみよう」という集まりをやりました。自分は大学に入る前に、学校で朝鮮人の強制連行のこととか勉強したことがあって、だから在日コリアンの人に申し訳ないという気持ちを持っていました。でもある時、在日コリアンの知り合いから、「逆に変な気遣いをすることの方が偏見だ」と言ってもらえたんです。自分の中に偏見を持っていることに気がついたのは大きな発見でした。でも相手を傷つけたくないという気持ちも、当然持っています。劇をやったから接し方を変えようという考え方自体が、外国人の人たちに失礼だと思っています。

納庄:これまで、外国の人は大変だから助けてあげなきゃ、と思っていたけど、それは上から目線だったかもしれないと思うようになったので、これからは自然体でいけたらいいと思います。

山中:自分は日本人と接する時でも、初めての人には緊張します。大学に入って、留学生の友だちとは普通に接しているけれど。


▲灘チャレンジ終了後、協力していただいた地元の方々に集まっていただいた打ち上げ(国文食堂)にて、風刺劇を再上演しました。


――――劇の中では、登場人物の「名前」をめぐる葛藤が描かれていました。

関:劇中のベトナム人の男の子の名前を途中で変更したことがありました。

山中:ベトナム人の人が劇を見たら「女の子の名前みたい」と違和感を感じるかもしれないという指摘があったからですよね。

関:本番ではカットしたシーンがありました。「日本人っぽい名前」を通名として使っているベトナム人の男の子が、本名の民族名を使っている別の男の子を「ベトナム人!」と冷やかすシーンがあったんです。実際にあった話を元にして、同じ立場の人間が、マジョリティ(=日本人)の側に回ろうとする悲惨さを表そうと思いました。自分がベトナム人だということに否定的な感情があるんです。そして、そうさせるのは周りの日本人の空気だという問題提起をしたかったんです。ベトナム人の男の子を演じた1回生は、そのシーンを思い浮かべながら、演技をしたと言っていました。

納庄:逆に、日本人の子どもの名前とか、欧米っぽい読み方する子が増えてますよね。

関:名前を含めたアイデンティティ(自分は何者か)の問題については、日本人からとやかく言えることでもないと思っています。昨年聞いたベトナム難民の牧師さんの講演が印象に残っています。ベトナム人でも引き立ててくれる人がいれば、会社に入って出世することができる。でも、名前を民族名から通名に変えて隠してしまえば、「ベトナム人」であると分からなくなってしまう。すると、「ベトナム人」でも「本名」でいても成功できるということを、同じルーツを持つ子どもたちに伝えることができない、という話でした。劇の中では、ラジオを通じて登場するベトナム人難民2世ラッパーのナムさんに、その役を託しました。その他にも、「違うことこそすばらしい」という作文集の中に、高校野球のピッチャーとして活躍する在日ベトナム人の高校生に励まされたという話がありましたが、外国にルーツを持つ子どもたちにとって、同じルーツを持つ日本社会で成功した大人(先例)の存在は大きいと思います。



・・・・・・・(2)に続く。

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(2)

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(2)

――――1回生が入ってくる直前に、寸劇の企画が動き始めました。最初はどんな状況からスタートしましたか?

臺:3月ぐらいになっても、担当が決まらなくて大変でした。

関:今年の灘チャレンジは、すべての企画において「本当に自分がやりたいのか?」という所から出発するような形になりました。やりたいことのない人は、逆に居づらいような。

臺:周りからは「みんな劇は臺君がやると思ってるよ」って言われたりして。。。

関:自分は最初、灘チャレンジには関わる気はなかったんですが、去年の寸劇の脚本を書いた江口さん(発達・4回)の策略(?)もあって途中で乗り気になりました。臺君は2回生だけど、2年目で劇の脚本を書くのはとても大変なので、結局、私が途中で脚本の担当を奪いました。(笑)

臺:最初は、ジェンダーのこととかをテーマにしようかという話が出てました。

関:救援隊の内部でも、ジェンダーに関する取り組みはまだ始まったばかりですよね。

臺:劇の脚本を作る上では、実際に現場で動いている人とのつながりがあるかないか、ということがとても大事になる。灘チャレンジは準備期間が短いから、今年ジェンダーのことをやっていたら大変だったと思う。

関:自分は救援隊の学習企画局の副局長をやってきて、劇はその1年間の総まとめでもあった。学習企画局というのは、自分たちはボランティアなどを通じて現場でいろいろ活動しているけれど、人権のこととか全然知らないということで、2002年に林さんという先輩が作った部局。これまで広く浅く、いろいろなことを勉強してきた。毎年秋にやっている連続講演会や、2月のボランティア講座など、そういう活動の中で、私は、在日外国人分野の担当だったので、その分野で活動をしている人たちといろいろなつながりができていった。こういう人たちに相談やチェックをしてもらわなかったら、劇はできていなかったはず。

臺:関さんはこれまで、在日外国人について、めちゃくちゃたくさん勉強してましたよね。

関:知識がないままやることは、とても怖いこと。中途半端にやると偏見につながりかねない。そういうことについては、大きなプレッシャーがあった。だから、取材をさせてもらった相手の人から、劇を褒めてもらえるのが、一番嬉しい。

▲本番の2日前、国文キャンパスで実行委員メンバーを対象としたお披露目会を行った。

――――1回生のみなさんから、自分たちが取り組んだ劇について、いろいろと疑問に思ったことはありますか?

納庄:なぜ劇という手段だったんですか?テーマがあって、劇をやろいうということなのですか?

関:うーん。灘チャレンジでは、最初は、震災後のまちづくりにおける行政批判みたいな劇からはじまったはず。その後、復興をテーマにした劇から、「発信と交流」というコンセプトに変わってきた。今年は、まず劇をやることは決まっていて、テーマは後から決めた、ということになると思う。

臺:(復興住宅でお茶会活動を続ける)N.A.C.でも、なぜお茶会なのか?という問いがあるけれど、それと同じかな。

関:(チンドン屋サークルの)ドンチキでも、なぜチンドンなのか?という問いは、やっぱりある。見てもらうためには面白くなければいけないだろうし。

山中:一番見てもらいたい人は、何も知らない人ですよね?

関:そうだね。劇は、「外国にルーツを持つ人」に関心を持つための入り口だと思っています。もちろん、見てくれた人には、その後何かアクションを起こしてもらいたいです。それは、日本語ボランティアに参加することかもしれませんし。また「外国人=犯罪者」みたいに扱われたり、周りの見る目が冷たいと、自尊感情は育たないので、外国にルーツを持つ○○さんとして「ただ居る」ということを認められる、近隣の日本人住民になって欲しいという思いもあります。

松田:日本人になりたいというベトナム人に対して、ベトナム人になれと強制することはできないですよね。

関:うん。それは大事なことだと思う。

臺:自分は演出の担当だったので、役者のみんなにはリアリティを持ってやってほしいと思っていた。少しでも、演じている人物の生き様や人生についてのイメージを膨らませてほしい。自分も去年役者をしたから分かるけれど、最初は台本通りにするだけで精一杯かもしれない。でも、たとえば自分が識字教室に通ったりする中で、自分の演じている人のしんどさなどを少しずつ理解して、役柄に近づくきっかけになった。劇を見た人には、何かのきっかけになってほしいという思いもあるけれど、それ以上に、まずは演じる側の人間にとってのきっかけになったらいいと思う。

納庄:臺さんは、どんな役の演出を付けても、とてもハマっていたと思う。

山中:臺さんの演じたミン(ベトナム人の男の子)も、迫力があったし。

臺:ミンや店長の役は、感情が表に出せるけれど、説明的な台詞が多い役は大変だった。

▲風刺劇のフィナーレ。


――――劇は最後に、お祭りの屋台でみんなでアジア料理を売るシーンになって、「これからもこの場所で生きていくんだ!」と、未来に向かう台詞で閉幕します。劇のエンディングについては、どういう風に決めましたか?

関:はじめは、真っ暗なエンディングを考えていました。日本人側の心の溝の深さや冷たさに、愕然として終わるような・・・。

納庄:でもそれだと、見ている人に不快感を与えることになりますよね。

関:以前の灘チャレンジの寸劇では、自分には何も出来ないと言って現場から去るようなエンディング案があったそうです。脚本を書く人間の、現場に対する考え方やスタンスが結末に出ると言われたことがあります。自分の場合は、今回のような、「まずは食べ物などの身近なことから、もっと知っていくところからはじめよう」というメッセージを込めました。

――――劇の脚本を書いたことは、関さんの自分の人生に何か影響がありそうですか?

関:自分のこれからの人生で、外国にルーツを持つ人に目が向くことが増えそうです。自分の実家は長野県の諏訪という精密工業の町で、工場では日系人がたくさん働いています。ポルトガル語で何を言っているのか分からなかった子がいたことなんかを思い出します。農学部ですし、将来は実家に帰って農業をしたいけれど、お互いに言葉や文化を教え合ったりするような、KFC(劇の取材でお世話になった「定住外国人支援センター」)のような場所を作りたいです。

――――1回生のみなさんも、これからいろいろな活動に参加しながら、頑張ってください。今日は長時間どうもありがとうございました。

(2009年7月18日放課後、学生ボランティア支援室にて。聞き手・執筆:相澤亮太郎)



▲座談会に参加してくれたみなさん。左から、臺君、松田君、納庄さん、山中さん、関さん。





・・・・・・・・・・・・・(3)に続く

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(3)

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(3)

■台本のあらまし

 日本生まれのベトナム人中学生の男の子、ミン(日本名:陽一)は、自分の「ベトナム」というルーツに地震が持てず、民族名の「ミン」に違和感を持っている。日本人中学生とつるんで、日本人と同じになろうとする彼はある日、仲間とゲームセンターのガラスを割ってしまう。

 1人逃げ遅れたミンは、店主に捕まって名前を尋ねられる。店主はミンという名前から少年がベトナム人だと推測すると、「ベトナム人=外国人=犯罪者」のイメージから、ベトナム人全員を犯罪者扱いするような態度に出る。ミンは、こうした経験から、本名を隠して、日本名の「陽一」として生きていくことを決意する。

 一方、主人公の萌(日本人)は大学の入学式のあと、生まれて初めて「外国人」の金紗栄(キム・サヨン)と出会う。ルーツに関する会話の中で、外国人である紗栄に対して自分なりの配慮をしたつもりが、逆に気まずい空気になってしまう。このことを気にした萌は、在日コリアンの歴史を調べ、数日後の帰り道、紗栄ともう一度話しをしてわかり合う。そのとき、ゲームセンターから大きな声が聞こえてきた。萌と紗栄は、ゲーム店の店主が、2年前に来日したベトナム人中学生の男の子、トゥアンを店から追い出す場面に遭遇する。

 トゥアンは、ミン(陽一)と共に外国にルーツを持つ子どもたちが学校の宿題や日本語の勉強をするための「学習支援」に通っており、紗栄はそこでボランティアスタッフをしていたため、2人は知り合いだったのだ。萌は、紗栄の誘いで一緒に学習支援に行くことにする。そこで萌は、日系ブラジル人の小学生、アケミにも出会う。

 ある日萌は、大学の先輩と一緒に、学習支援の子どもたちが参加するお祭りに遊びに来た。ベトナム料理の屋台を出していた子どもたちは、萌の先輩に自己紹介しながら、将来の夢を語る。外国にルーツを持つ子どもたちの「不安だけど、いろんな人の支えがあって、これからもこの場所で生きていくんだ!」という台詞で劇は幕を閉じる。

 萌は、大学や学習支援を通じて、日本に来た時期・経緯・国が異なる子どもたちと出会い、彼・彼女らの家庭の経済状況や、周りの大人たちの教育に対する理解が異なることに気づいていく。外国にルーツを持つ子どもたちが、胸を張って民族名を名乗れる、彼らが夢や希望を持てる社会とは一体何?みなさんも萌と一緒に考えてみませんか?
(灘チャレンジ2009パンフレット 21pより抜粋・加筆)


▲当日会場で配布された風刺劇資料集。マンガは役者の山中さんが担当した。






・・・・・・・・・・・・・・完