2009年8月7日金曜日

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(2)

座談会「灘チャレンジ2009 風刺劇 "ちがったっていいじゃん――日本に暮らしている 外国にルーツを持つ子ども達――"を終えて」(2)

――――1回生が入ってくる直前に、寸劇の企画が動き始めました。最初はどんな状況からスタートしましたか?

臺:3月ぐらいになっても、担当が決まらなくて大変でした。

関:今年の灘チャレンジは、すべての企画において「本当に自分がやりたいのか?」という所から出発するような形になりました。やりたいことのない人は、逆に居づらいような。

臺:周りからは「みんな劇は臺君がやると思ってるよ」って言われたりして。。。

関:自分は最初、灘チャレンジには関わる気はなかったんですが、去年の寸劇の脚本を書いた江口さん(発達・4回)の策略(?)もあって途中で乗り気になりました。臺君は2回生だけど、2年目で劇の脚本を書くのはとても大変なので、結局、私が途中で脚本の担当を奪いました。(笑)

臺:最初は、ジェンダーのこととかをテーマにしようかという話が出てました。

関:救援隊の内部でも、ジェンダーに関する取り組みはまだ始まったばかりですよね。

臺:劇の脚本を作る上では、実際に現場で動いている人とのつながりがあるかないか、ということがとても大事になる。灘チャレンジは準備期間が短いから、今年ジェンダーのことをやっていたら大変だったと思う。

関:自分は救援隊の学習企画局の副局長をやってきて、劇はその1年間の総まとめでもあった。学習企画局というのは、自分たちはボランティアなどを通じて現場でいろいろ活動しているけれど、人権のこととか全然知らないということで、2002年に林さんという先輩が作った部局。これまで広く浅く、いろいろなことを勉強してきた。毎年秋にやっている連続講演会や、2月のボランティア講座など、そういう活動の中で、私は、在日外国人分野の担当だったので、その分野で活動をしている人たちといろいろなつながりができていった。こういう人たちに相談やチェックをしてもらわなかったら、劇はできていなかったはず。

臺:関さんはこれまで、在日外国人について、めちゃくちゃたくさん勉強してましたよね。

関:知識がないままやることは、とても怖いこと。中途半端にやると偏見につながりかねない。そういうことについては、大きなプレッシャーがあった。だから、取材をさせてもらった相手の人から、劇を褒めてもらえるのが、一番嬉しい。

▲本番の2日前、国文キャンパスで実行委員メンバーを対象としたお披露目会を行った。

――――1回生のみなさんから、自分たちが取り組んだ劇について、いろいろと疑問に思ったことはありますか?

納庄:なぜ劇という手段だったんですか?テーマがあって、劇をやろいうということなのですか?

関:うーん。灘チャレンジでは、最初は、震災後のまちづくりにおける行政批判みたいな劇からはじまったはず。その後、復興をテーマにした劇から、「発信と交流」というコンセプトに変わってきた。今年は、まず劇をやることは決まっていて、テーマは後から決めた、ということになると思う。

臺:(復興住宅でお茶会活動を続ける)N.A.C.でも、なぜお茶会なのか?という問いがあるけれど、それと同じかな。

関:(チンドン屋サークルの)ドンチキでも、なぜチンドンなのか?という問いは、やっぱりある。見てもらうためには面白くなければいけないだろうし。

山中:一番見てもらいたい人は、何も知らない人ですよね?

関:そうだね。劇は、「外国にルーツを持つ人」に関心を持つための入り口だと思っています。もちろん、見てくれた人には、その後何かアクションを起こしてもらいたいです。それは、日本語ボランティアに参加することかもしれませんし。また「外国人=犯罪者」みたいに扱われたり、周りの見る目が冷たいと、自尊感情は育たないので、外国にルーツを持つ○○さんとして「ただ居る」ということを認められる、近隣の日本人住民になって欲しいという思いもあります。

松田:日本人になりたいというベトナム人に対して、ベトナム人になれと強制することはできないですよね。

関:うん。それは大事なことだと思う。

臺:自分は演出の担当だったので、役者のみんなにはリアリティを持ってやってほしいと思っていた。少しでも、演じている人物の生き様や人生についてのイメージを膨らませてほしい。自分も去年役者をしたから分かるけれど、最初は台本通りにするだけで精一杯かもしれない。でも、たとえば自分が識字教室に通ったりする中で、自分の演じている人のしんどさなどを少しずつ理解して、役柄に近づくきっかけになった。劇を見た人には、何かのきっかけになってほしいという思いもあるけれど、それ以上に、まずは演じる側の人間にとってのきっかけになったらいいと思う。

納庄:臺さんは、どんな役の演出を付けても、とてもハマっていたと思う。

山中:臺さんの演じたミン(ベトナム人の男の子)も、迫力があったし。

臺:ミンや店長の役は、感情が表に出せるけれど、説明的な台詞が多い役は大変だった。

▲風刺劇のフィナーレ。


――――劇は最後に、お祭りの屋台でみんなでアジア料理を売るシーンになって、「これからもこの場所で生きていくんだ!」と、未来に向かう台詞で閉幕します。劇のエンディングについては、どういう風に決めましたか?

関:はじめは、真っ暗なエンディングを考えていました。日本人側の心の溝の深さや冷たさに、愕然として終わるような・・・。

納庄:でもそれだと、見ている人に不快感を与えることになりますよね。

関:以前の灘チャレンジの寸劇では、自分には何も出来ないと言って現場から去るようなエンディング案があったそうです。脚本を書く人間の、現場に対する考え方やスタンスが結末に出ると言われたことがあります。自分の場合は、今回のような、「まずは食べ物などの身近なことから、もっと知っていくところからはじめよう」というメッセージを込めました。

――――劇の脚本を書いたことは、関さんの自分の人生に何か影響がありそうですか?

関:自分のこれからの人生で、外国にルーツを持つ人に目が向くことが増えそうです。自分の実家は長野県の諏訪という精密工業の町で、工場では日系人がたくさん働いています。ポルトガル語で何を言っているのか分からなかった子がいたことなんかを思い出します。農学部ですし、将来は実家に帰って農業をしたいけれど、お互いに言葉や文化を教え合ったりするような、KFC(劇の取材でお世話になった「定住外国人支援センター」)のような場所を作りたいです。

――――1回生のみなさんも、これからいろいろな活動に参加しながら、頑張ってください。今日は長時間どうもありがとうございました。

(2009年7月18日放課後、学生ボランティア支援室にて。聞き手・執筆:相澤亮太郎)



▲座談会に参加してくれたみなさん。左から、臺君、松田君、納庄さん、山中さん、関さん。





・・・・・・・・・・・・・(3)に続く